なぜ経営が悪化すると人間関係が悪化するのか

小説でもドラマでも、経営が悪化したとき、良好だったはずの、経営陣の人間関係が崩れていく。という場面はよくある。

もちろん、小説ではなく実際に起っていることであり、「手のひらを返されたように人が離れていった」と嘆く経営者の話を私も何度も聞いた。

「カネの切れ目が縁の切れ目だからね」と言ってしまえば、そうなのだが、なぜ経営が悪化すると人間関係が悪化するのかを、もう少し噛み砕いてお伝えしたく、記事を書いている。

「ヒト」と「モノ」「カネ」の違い

経営は「ヒト」「モノ」「カネ」というが、ヒトにはあって、モノ・カネにはないものは何か?

それは、意思決定の主体である。

モノもカネもヒトが意味を与えて判断を下すということだ。

土台はヒトの意思決定があったうえ、モノやカネがその意思の通りに流れていく。至極当然の話なのは分かるだろう。

意思決定者の主語がブレると経営は悪化する

しかし、この土台を忘れてしまい、経営ボードでの十分な話し合いもなく、自分たちの仲間内でやりくりしながら、経営に困ると借入を起こしたり、事業整理に入ってしまう。

決定権を持っているから、モノやカネを自分の意思で流せるわけだが、それがいつのまにか、法人格としての意思決定ではなく、個人の意思決定で行われている。実は、業績が良いときはこの事に気づいていない。

先日の、東芝の社長交代劇、少し前であれば大塚家具のお家騒動など、星の数ほど事例は存在する。

経営の悪化は個々の成功体験を煽る

MIT教授のダニエル・キム氏は失敗循環モデルを、「結果の質→行動の質→思考の質→関係の質」の循環と定義している。

結果をみた途端に、行動に走らせるのだ。

そして行動の起点となるものは、関係性ではなくて個人の成功体験となる。

失敗したときほど、自分の成功体験をもう一度呼び起こそうとする。実はそれが危険なのだ。

大塚家具の例

大塚家具の例がわかりやすいので、ご紹介する。

大塚家具の営業利益は2001年に75.2億円でピークを迎えたが、その後は低迷し、2009年には14.5億円の赤字となる。

2009年に父の勝久氏に代わって娘の久美子氏が社長に就任したことで業績が回復、赤字は脱却している。

しかし2014年に半年だけ勝久氏が社長に復帰するなど混乱し、久美子氏が社長に復帰後は、2016年から4期連続で赤字が続いており、2020年には76.1億円の赤字となった。

2009年、久美子氏は、自身が正しいと思った方向に舵を切っていった。それにより一時は回復したが、勝久氏が、また自身の正しい方向へ舵を切ろうとする。

結局、久美子氏から見たら勝久氏への反発、勝久氏から見ても久美子氏への反発である。

そして、それが、勝久氏支持を表明していた取引先等からの反発を招き、結果的に高度な技術を持つ職人が会社を去ったり、先代からの長い付き合いのあった得意先から取引を打ち切られる事も発生し、業績は低迷、売上高は大幅に落ち込んだ。

あなたは、この事例をどう解析し、自社の経営に当てはめるか?

本当にその主語は会社なのか

大塚家具も創業時は「自分が思う会社」の主語が、社会や顧客であったはずだ。

しかし、権力を持てばヒト・モノ・カネを個人の力で動かせる。そしていつの間に自身の意思決定が「会社の意思決定」だと勘違いする。

ステークホルダーも●●派といった派閥が生まれ、その利益を取るために集まっていく。

会社という体をしているのだが、上記の状態では、主語が「個人」の集まりになってしまっている。

今は投資会社もESGにフォーカスしている時代だ。

事業会社であるならば、ますます「その主語は会社なのか?」と問いながら議論を進めないと方向性を見誤るだろう。

役員全員が主語を「会社」にし続ける対話があるか

最後に、1つ質問をしたい。あなたの「何でも話せる人」を5人、思い浮かべてほしい。

そのメンバーのうち3人以上は自社の役員だろうか?

何か悩んだことがあったら、この「何でも話せる人」にあなただって話したいはずだ。

なぜならば、その悩みに対して真っ向から否定せずにアドバイスをしてくれたり、協力してくれるからだ。

例えば、役員同士にこのような「何でも話せる人」が、少数だったら、力が別の方向に流れてしまう。

業績が順調であれば意思決定の土台が脆くても観えないが、経営が悪化すると土台が観えてくる。

従って、業績が悪くなれば人間関係は悪化するのではなく、そもそもそれに耐えうる、人間関係力を準備してなかったということだ。

役員の主語は「会社」になっているのか。

人間関係力は常にバージョンアップしているのか、ぜひ見直してみることをおすすめする。