【評価者研修】なぜ会社のビジョンと現場の評価にズレが発生するのか

弊社では「評価制度育成コンサルティング」と題して、評価者の目線合わせを行うコンサルティングを実施している。その会議に参加しながらみえることは「経営者が伝えたいビジョンとは、関係のない議論が80%以上を占めている」ということだ。つまり、現場での評価及び評価面談によって、経営者の意図が伝わっていないという事が関連付けられる。これは、なぜなのか?整理をした。

評価の目的はなにか

結論を言えば、経営者と評価者のそれぞれが考える「評価の目的」がズレているから、現場において、経営者の意図が伝わっていない。

さて、あなたは「評価」という言葉を聞くとどのようなイメージが出るだろうか。日本で、サラリーマン人生を歩んできた方ならば、まず「評価は、されるもの」だっただろう。そして「良し悪しを決められる」ものだった。加えて「なぜ良いのか悪いのか、あまり分からないものだったけど昇給した」のではないか。

歴史的に「曖昧な評価基準」の日本

これは広く見ると、日本が行ってきた終身雇用制度に原因がある。常に右肩あがりの経済であれば、基本的に給料も年次が上がれば右肩上がりであったため、評価は、勤続年数の長さが主軸になっていた。しかし、経済成長が鈍化するにつれて、能力や成果を入れる成果主義が評価に入ってくるわけだが、結局、日本独自の家族給の考え方に本流がマッチすることはなかった。

現在は、一般社員レベルでは職能給(≒年齢給)とし、管理職や役員以上は成果給という二段階の評価が主流になっている。

ちなみに、海外(米国)では、ユニオンの力が強く、各団体が労働における権利を獲得してきた歴史がある。そのため、ジョブディスクリプションがあり、そこに求める成果も明確に記載してあるため、評価と報酬の連動が、ジョブディスクリプションを基準としている。

少し脱線してしまったが、歴史的に見ても海外に比べて日本の評価基準は曖昧だ。しかし曖昧だからこそ、対話を通して、共通認識を取りながら進めていける伸びしろがあるとも言える。

医療の「評価」から目的を考える

では、どのように共通認識を取っていけばよいか。我々のケースを紹介したい。

弊社は夫婦2組で創業しており、うち2名は医療畑(看護師・理学療法士)の出身だ。そこで驚いたのは、医療人が使っている「評価」は会社のそれとは全く異なっていたのだ。

例えば、あなたがリハビリを支援する担当者(理学療法士)だったとしよう。脳に損傷が起き、思ったように身体が動けない60代の患者が入院し、リハビリを開始することになった。期間は半年。それまでに、患者も患者家族も家に帰って過ごせるようになりたいという要望がある。まず、あなたは何をするか?

当然、いきなりリハビリを始めても、どこを損傷していて、どのように動かないのか、が全く分からないので現状を分析することから始めるはずだ。実はそれを「評価(アセスメント)」と呼んでいる。

専門家から見たときに、どの部分が、どの程度損傷していて、リハビリを通して、どれくらい回復が見込めるのか?という、現状の評価と見通しを立てる。しかし、その現状分析と見通しは外れることがあるため、評価は繰り返し行っていく。

そうして、評価と見通しの修正を行いながら、半年後の目標も修正が必要であれば修正を行うし、そのままで良ければ進んでいくのだ。

企業の評価と医療の評価を比較する

医療的な評価を、企業の評価と比較をし、取り入れるべき部分は取り入れるべきだろう。さて、あなたは、上記のプロセスを踏んでいるだろうか?自社の評価の仕組みと、自身の評価面談を反芻してみてほしい。

まず、そもそも期中に評価基準(=目標)の修正・再設定をすることについてだが、これをしているケースは本当に少ない。なぜならば、評価基準(=目標)は期首に設定するのみで、「目標を達成するための」評価面談となり、相手の現状に即した目標自体の見直しをしないからだ。しかし、遠く離れた目標や、達成が容易すぎる目標だと、部下もやる気や自身をなくしてしまう。そのため、理想を言えば、1on1を通して部下と目標に対する現状の分析をかけ、修正が必要ならば中間評価会議の際に、評価基準(=目標)の再設定を諮ることだ。

続いて、客観的な評価(アセスメント)への意識についてである。日本は歴史的にプロセス評価に重きを置いているため、「サービス残業を頑張った」「休日のゴルフに出た」などと言った事が明文化はされていないものの、評価されていた時代があり、その名残は今も続いている。これが、評価を主観的にしてしまう理由である。しかし、すぐに評価基準を数字や成果のみにすることは多くの会社からすると、非現実的だと言える。

そこで、重要な基準となるのが「ブランディングのための評価」である。

評価の目的は「従業員の納得」か「会社のブランディング」か

ここで、もう一つの問いかけをしてみたい。評価制度を作成し、運用する目的は、「従業員の納得のため」と「会社のブランディングのため」の、どちらだろうか?

例えば医療に例えると「会社のブランディング」は「要介護度」と同じ話だ。いくら患者が「私は一人で外出もできるし、車も運転できる!」と豪語しても、実際の動きがそのような状態でなければ、要介護認定をする必要がある。それが、患者の命にとっても、病院の立場にとっても、社会の安心・安全にとっても必要不可欠だからだ。

しかし、患者が「私は一人で外出もできるし、車も運転できる!」と豪語するからといって、「患者の納得のため」に、要介護認定のレベルを下げ、自由度を持てるような状態にしたら、危険なことは、誰でもわかるだろう。患者の命も、病院の立場も、社会の安心・安全においても危機でしかない。

だが、会社に例えると、この考え方に麻痺が発生する。

いくら従業員が「私は一人で案件をこなせるし、契約だって取れる!」と豪語しても、実際に顧客からクレームが入っていたり、成果が芳しくないような状態であれば、低い評価をする必要がある。それが、従業員の成長にとっても、会社の立場にとっても、顧客の安心・安全にとっても必要不可欠だからだ。この考え方がブランディングである。

しかし実際は、従業員が「私は一人で案件をこなせるし、契約だって取れる!」と豪語すると、低い評価が出しづらくなって「どうやって相手を納得させよう」と評価者側が考えてしまい、変に迎合したり「上がそう言っているから頼むよ」といった内容で、会社としての評価の根拠を示さずに終わっているケースがよくある。

これでは、会社の方向性を示せるビッグチャンスなのに、そのチャンスを逃してしまっている。

「従業員の納得」を目的にしたら会社は空中分解する

評価とは、会社の基準点を明確に示すために存在しているとも言える。逆に従業員の納得を目的にし、先程のようなケースが続いていたら、会社の未来は容易に想像がつく。社長についていかずに、自分自身の不満と要求だけが先行し、組織として維持することが難しくなってしまう未来だ。

先程の、患者の納得を目的とし、本来つけるべき評価を変えてしまえば、全てに置いて危機的な状況になってしまうのと同様に、従業員の納得を目的とし、本来つけるべき評価を変えてしまえば、従業員の仕事人生も、会社の立場も、顧客からの見られ方も、危機的な状況になる。

勘違いしないで頂きたいのは、「従業員の納得は不要だ」と言いたい訳ではない。あくまでも評価基準を設定することが最も高い優先順位である。設定することは、会社の方向性を決定することと同義であり、それは絶対にブラしてはならない。面談を行う時も、その基準をぶらさずに話す事が先決で、そこから対話をすることが重要だと考える。

まとめ:会社のブランディングのための評価基準設定を

今回は、医療の評価と、企業の評価のイメージの違いから整理を行った。不思議なことに、医療の評価と企業の評価は、通じるものがあるものの、企業の評価では弾かれてしまうというケースがあることだ。

そのため、会社のブランディングのために評価基準を設定し、評価・再評価を繰り返しながら評価基準を育成していくことがベストだ。このような内容に興味を持ったならば、連絡をいただけると嬉しい。