悩みと課題の違いは自分で解決する気があるか否か

研修の課題で「今の仕事の課題は何ですか」と聞くと、そもそも、自分だけでは解決できないような内容を課題と書く人が、5割〜7割いる。ここから見えることは、自分では解決できずに、解決策を見出してもらおうとする待ちの状態が続いているということだ。それは、解決したいから出している「課題」ではなくて、要求を叶えたいから出している「悩み」なのだが、なぜこのような思考が生まれるのか、考察にお付き合いいただければ嬉しい。

課題と悩みの違い

まずは辞書を引いてみる。

  • 課題:与える、または、与えられる題目や主題。
  • 悩み:思いわずらうこと。心の苦しみ。「―の種が絶えない」

goo辞書より引用

これを、考えの機能から話を展開する。人間の考えは「質問」と「答え」のペアになっている。ここでいう質問は、自己質問の事だ。例えば「1,000万円を稼ぐには?」という問いを立てると、答えは「コンビニでアルバイト」とはならないだろう。このように、考えの質は質問の質で決定する。

さて、課題の意味が「与える、または、与えられる題目や主題」だとわかったが、これは「質問を立てる意志・行為」によって発生する。自身が自身に題目や主題を与えて、考えて答えをだす。このサイクルがあって、考えは働く。

一方、悩みの意味は「思いわずらうこと。心の苦しみ」だとわかった。課題と大きく違う点は、行為ではなく状態を指していることだ。考えのメカニズムである「質問」が停止しているため、連動して「答え」も停止している状態だ。そうなると、自ら動き出すためには「質問を立てる意志・行為」を発生させる必要があるのだが、悩みが続いていると、それができなくなっていく。

それぞれの方向性

続いて、課題や悩みが発生した先の終着点はどこかを考える。

先程の質問と答えをペアとして考えるなら、「課題」は自身に質問を立て、答えを探すので、解決策を出して解決する方向に進み、解決することやその取り組みが終着点になる。

一方「悩み」は考えが停止している状態のため、自分では何もできない。だから相手に解決してもらう方向に進み、相手に解決してもらったときが終着点となる。この時に、考えを使って自身に質問を立てるが、内容が「相手に解決してもらうためには?」という質問で、そこから考えて答えを出している。矛盾した表現になるが、積極的に自らが受動的になる考えを生んでいるのだ。

自覚症状の弱さ

ここまでの話だと、まるで「課題と捉える人材は優秀で、悩みと捉える人材は優秀でない」という整理になりがちだが、そのようなシンプルな話ではない。

問題は「自覚症状のなさ」にある。これは、どちらの人材においても、自覚症状がないことが問題だ。課題と捉える人材は、本人が解決すべき悩み(という名の課題)を奪ってしまい、自らの課題として質問を立てて答えを出して、解決しようとしている。これでは人材は育たない上に、更に悩みと捉える人材を増やしてしまう事がお分かりだろう。一方、悩みと捉える人材は、課題と捉える人材の特性を、本能的に理解しているので、無自覚に解決してもらう表現や態度を醸し出している。

そうして、相手がお互いに変わらないまま、平行線を延々と辿ってしまっているのだ。

まとめ:自身の状態を自覚することから始める

タイトルの通り、悩みと課題の違いは「自分で解決する気があるか否か」であった。それはつまり「自ら質問を立てて、自ら答えを探しに行く」という行為そのものが、課題という単語と紐づいていた。

しかし、それを無自覚で行っていると、悩みと捉える人材を増やしてしまう弊害もあることに気づいたのではないか。ここからは、この記事を読んでいるあなたの選択になる。自身が課題解決をしていくために、質問を立てて答えを探しに行くことをしていきたいか、それとも組織的な成功を考えた時に、自身の状態を自覚しながら、相手に応じて時には悩んでいるフリもできる人材になるのかだ。まずは、自覚することをオススメする。