「わかる」と「できる」は別の回路だ――顧客の文脈に入れない営業が壁にぶつかるまで

ジョンソン・エンド・ジョンソンに転職して間もない頃、担当代理店の方からこう言われた。

「吉川さん、ちょっと待ってください。ペースが……」

正直、その瞬間に思ったのは「この人、わかってないな」だった。

前職で身についた「成功方式」

前職はSMB営業だった。中小企業を相手に、1週間で契約を取る。アポを入れ、提案し、クロージングまで自分一人で完結させる。スピードと熱量が正義の世界だ。そこで結果を出してきた自負があった。

「営業はこうやるもんだ」

その確信が、自分の中で完全に出来上がっていた。成功体験は力になる。しかし同時に、それは特定の文脈でしか通用しない「型」でもある。当時の私には、その区別がついていなかった。

「今月決める」感覚は、そこでは完全にズレていた

ジョンソン・エンド・ジョンソンが扱う医療機器は、高いものだと何千万円もする。購買の意思決定者は一人ではない。病院内の複数の部門が関与し、代理店との長期的な関係性の上に成り立っていて、契約まで年単位かかることも珍しくない。

SMB営業で染みついた「今月決める」という感覚は、そこでは根本的にズレていた。

それでも私は押し続けた。自分のやり方が正しいと疑わなかったから。

代理店の方が「待ってください」と言ったのは、邪魔をしたかったのではない。顧客との関係性が壊れないよう、守ってくれていたのだ。当時の私にはそれが見えていなかった。正確に言えば、見えていなかったのではなく、見ようとしていなかったのだと思う。

数年後、謝りに行った

数年が経ち、私はその代理店の方に会いに行った。

「あの頃は本当に申し訳なかったです」

頭を下げながら、ようやく気づいたことがあった。私が「押していた」のは、顧客のためではなく、自分の成功方式を守るためだったということだ。相手の状況を聴かずに、自分のペースで進めようとする営業は、どこかで必ず壁にぶつかる。私がそうだった。

現場で、同じことが起きていないか

この話を事業部長・マネージャーに聞かせたいのは、まったく同じ構造が、御社の営業チームや技術者の現場にも潜んでいる可能性があるからだ。

顧客の要件を正確に把握していないまま、自社ソリューションの説明に入ってしまう技術者。前回の商談での感触だけを頼りに、提案書を作り込んでくるメンバー。「聴いた気」になっているが、実際には自分が話したいことを話しているだけ、という場面は思い当たらないだろうか。

こうした状態は、知識の不足ではなく、習慣の問題である。「相手の文脈に入る」ことの重要性は、研修で教われば「わかる」。しかしそれを商談の場で実践できるかどうかは、まったく別の話だ。

「わかる」と「できる」は別の回路

「傾聴が大切だ」「顧客ファーストで臨め」。こうした言葉を知らない営業パーソンはほとんどいない。では、なぜ現場で再現されないのか。

それは、知識と行動の間に「習慣という回路」が存在するからだ。頭でわかっていることを、緊張した商談の場で、反射的に実行できるかどうか。それは知識の量ではなく、どれだけその行動を繰り返し、自分のデフォルトに組み込んできたかによって決まる。

私が代理店の方の言葉を聞き流したのも、知識がなかったからではない。「聴く」という行動が、まだ自分の習慣になっていなかったからだ。

マネージャーに問いたいこと

チームのメンバーが「ヒアリングができていない」と感じているとき、その原因は何だろうか。

知識を補えば解決するのか。それとも、行動を変えるための仕組みや環境が、まだ整っていないのか。

「わかる」から「できる」へ。その回路をつなぐのは、一度の研修ではなく、現場での反復と、適切なフィードバックの積み重ねだ。

あの代理店の方に謝りに行った日、私はそのことを身をもって理解した。

この記事を書いた人

吉川健一

吉川 健一

取締役/講師

エンジニア出身の提案力・ヒアリング力向上専門講師。群馬大学大学院情報工学専攻修了後、富士フイルムでITエンジニアとして従事。その後営業に転身し、Johnson & Johnsonでトップセールスを3度受賞。技術者の思考回路を知るからこそ、「なぜ提案が刺さらないのか」を構造から解説できる。登壇100回以上の研修実績をもとに、現場で再現できる対話設計をテーマに執筆中。